「健康的な笑顔こそが女性の1番の魅力なんじゃないかな。」
そう話してくださったのは、体力メンテナンス協会理事の福田真衣子さんだ。
彼女のSNSやBLOGの中の写真は笑顔のものが多い。
その笑顔は人を惹きつける魅力がある。
彼女の周りの人も彼女といることで笑顔になっていく。
幸せそうな笑顔で、順風満帆なような彼女に、出会った女性は憧れてしまうのではないだろうか。
だが憧れる存在になるほどの魅力は、どこから生まれてきたのだろう。
彼女自身が今まで乗り越えてきたものはどんなものだったのだろうか。
彼女はずっと笑顔だったのか。
自身も母親になり、今は世の中の母親を笑顔に出来る仕事をしている彼女の
女性として伝えたいことや、インストラクターを教える側の今や、真衣子さんを動かす原動力を訊いてみた。
- 2度のどん底スパイラル
- 毎日を元気に過ごすということ
- 全国に広がり始めたあり方
- 女性としての悩み・想い
- 今後の展望
- 福田真衣子語録
- 笑顔の元
- 伝えたいこと
①2度のどん底スパイラル
体力がある人はどんどん動きたいように動け、ひらめきに冴えていたり、心も自然に前向きなる。
動いても疲れにくく、疲れても質のいい睡眠がとれるし、回復が早くなる。
体力をつけるといえば、有酸素運動だ。
有酸素運動をすることで筋肉を動かす。
筋肉が動いて筋肉中のミトコンドリアが元気になる。
そのミトコンドリアがATPというエネルギー物質を作り出してくれる。
それを習慣化させることでエネルギーをどんどん生み出せるカラダが出来上がる。
これが有酸素運動の原理だ。
有酸素運動といえば、やはりウォーキングやジョギングを思い浮かべるのではないだろうか。
バランスボール運動は有酸素運動の中でも効果が大きく、即効性もあるという。
そのため少ししか運動する時間がない方や、運動が苦手な方も取り入れやすいのが特徴だ。
運動をすることで、自立神経やホルモンを整え、細胞から元気にしていく。
医療機関がうつ病に向け取り入れたところ、うつ病の改善も見られているという。
それぐらいバランスボールはすごい器具ということだ。
一時期のブームはあったがそこまで価値までは浸透しなかった為、知らない人も多くいるだろう。
体力メンテナンス協会では、バランスボールを使ったセミナーの開催などを行い、指導している。
ただ特に特化しているのは《産後ケア》だ。
時間が無く、運動をしたいけど簡単には出来ない。
そんな悩みをかかえている人は世の中に多数いるが、誰よりも人の為に時間を使い、自分の体を犠牲にしているのは、やはり産後の女性ではないだろうか。
産後の女性というのは、《産後うつ》になってしまうぐらい、体や精神的に自分を酷使する事が多い。
妊娠・出産という生命が新しく生まれる瞬間というのは、奇跡のような事であり、幸せな時なのは確かだ。
だがその反面、その奇跡を大切にする余り、大切に生んだ我が子のことを考えていると
「自分自身のことを考えられない」「自分自身の体のことなんてさておき」になってしまうのが女性だ。
いや、もう出産を終えた後は女性ではなく、母親になってしまうからだろう。
真衣子さんはそんな産後の女性だからこそ、自分の体を大切にしないと後で大変なことになるという。
なぜなら彼女自身も《産後うつ》になりかけたからだ。
彼女が《産後うつ》になった後、
《産後バランスボールエクササイズ》との出会いをきっかけに沢山のことを学び自分自身を向き合うことになった。
真衣子さんは日本赤十字豊田大学卒業後、日本赤十字病院の集中治療室で看護婦をしていた。
当時は〝患者さんのために〟と、人の為に働くことへの自己満な部分もあり、真衣子さんは自分の体にムチを打ち続けていた。
その為、若干ノイローゼになりながらも、がむしゃらに朝も昼も晩も働いていた。
集中治療室だった事もあり、命を救えず悲しむ家族の光景を目の当たりにしたり、徐々に患者さんが力尽きていく様子を見続け、自分自身が健康で生きていることが、あり得ないほどの奇跡で成り立っていることを思い知った。
真衣子さんが命を大切にする想いの根底には、ここでの経験があるからだ。
「ひとりひとりの患者さんの人生のストーリーを目の当たりにすることで、教えられること、学ぶことも大きかった。」
そう感じながら看護婦を頑張り続け、29歳の頃、真衣子さん自身も結婚、出産を経て、念願の母親になった。
産まれた赤ちゃんは天使のようにすやすや寝てくれて、石鹸の香りとパステルカラーの部屋。
誰からみても幸せそうで、赤ちゃんを抱く笑顔のわたし。母親になりたい。
女性が1度は夢見る瞬間だ。
真衣子さんは理想のように、綺麗でキラキラな母親になれると信じていた。
でも、現実は全く別物だった。
部屋の中は食べ終わった食器の山と、洗濯機の中にはまだ干されていない濡れた服やタオル。
赤ちゃんは泣き止まず、朝から晩までソファに座ったままおっぱいをあげ続けたこともあった。
SNSの友達の投稿には羨ましく思った。
自分の現実を受け入れられないままの日常。
真衣子さんは自分の現実にとにかくイライラし続けた。
旦那さんを思いやることもできず、夫婦関係も最悪な状態になった。
余裕もなくなり、最終的には旦那さんとの別居や離婚も考えるようになっていた。
子供を産んだらあんなに幸せになれると思ったのに。
毎日笑って過ごせると思ったのに。
夫婦関係が悪くなるなんて思わなかったのに。
私だけがなぜこうなんだろう。
《1つ目の出会い》
完全に産後のイメージのギャップに心が折れていた。
うまくいかないスパイラルに頭を抱える毎日。
そんな時に赤ちゃん用品を買いに行ったお店で見つけたのが1枚のポスターだ。
《産後バランスボール エクササイズ》
そう書いてあるポスターには1人の女性が写っていた。
それが今の体力メンテナンス協会の協会理事 朴玲奈さんだ。
「この人面白い方だから、会って見たら?」そんな友人の言葉にピンときた真衣子さんは早速玲奈さんを調べて見た。
見つけた玲奈さんのブログで、真衣子さんは衝撃を受けた。
玲奈さんのブログの中では、笑顔でキラキラしているママ達たちがたくさん写っていた。
真衣子さん現状とはかけ離れた笑顔のママたち。
なんでこんな笑顔になれるんだろう。
みんな本当にママさんなの?
私とは何が違うの?
真衣子さんは、藁にもすがる思いで玲奈さんのクラスへ参加することにした。
〝今の生活から抜け出したい〟その思いだけだった。
その思いで自分から動いたため、人生が変わることに気がつくのは数年後になるが、
インストラクターとして教える立場になり、今ではそんな自身の実体験が存分に活かされることになる。
真衣子さんは、玲奈さんのクラスに参加に向かった。
当時は名古屋在住だった為、赤ちゃんを抱えながら電車で。
当時の真衣子さんからしたら電車に乗るなんて考えられず必死だったが、そうまでしても行きたかった。
「玲奈さんとの出会いは大きかった」
クラスに行き、真衣子さんはもっと大きな衝撃を受けた。
インストラクターの玲奈さんは30代半ばと思えないほどの若さとキャピキャピ感に、参加している全員が玲奈さんのブログで見た写真と同じようにキラキラ笑顔だったのだ。
そんな衝撃に圧倒されながらも、1レッスンを終えた真衣子さんはなんとも言えないすっきり感と、沸き出る様なエナルギーに満ち溢れ、レッスン前とは比べものにならないぐらいの笑顔になっていた。
あの写真は間違ってなかった。
真衣子さんの暗闇に、明かりが照らされた瞬間だった。
キラキラの笑顔が生まれる場所をやっと見つけたのだ。
笑えなかった毎日が
辛い思いの日常が
変わるきっかけを掴めた。
そのことをきっかけに真衣子さんはどんどん変わっていった。
体を動かして体力がついたお陰で「料理や洗濯を午前中に終える」という技を身につけ、活動的にやりたいことを出来るようになった。
クラスにも通い続けた。そのおかげで真衣子さん自身に笑顔が増え、家庭にいい空気が流れはじめた。
何よりも変わったのは旦那さんとの関係だ。
真衣子さんがやりたいことをやる。
それを旦那さんも応援してくれるようになった。
というより旦那さんの真衣子さんへのスタイルは変わってなかったが、旦那さんの気持ちを真衣子さんが気づけるようになった。
体力が付き、体も軽くなり、ココロに余裕が出来たからだ。
今では旦那さんに感謝しかなく、愛してやまないという。
日本は風習的に「妊婦さんは病気じゃない」「みんながやってる」という考えが浸透している。
産後の弱音が吐き出せない。
助けを求められない。
相談できる場所がわからない。
でも「がんばれ」と言われる日々。
だからパンクしてしまう。
母親も女の人。女の人であり人間。
だから無限大のキャパがあるわけじゃない。
でも子供を前にすると、頑張って無理をする仕組みが出来上がる。
真衣子さんは自身で気づき、変わる事ができた。
全ては自身の体力の低下から様々な問題に直面し、悩み彷徨い、弱い自分を知れたから。
1番のどん底だった。
でもそこを乗り越えたから伝えれることがある。
《2つ目の出会い》
そう感じ始めた頃、玲奈さんのブログで《インストラクターの養成募集》を見つけた。
真衣子さんは迷うことなく養成講座に通うことにした。
ここに迷いは一切なかった。
導かれるして、なりたい気持ちに全てを任せたのだ。
旦那さんや親の応援や理解もあり、協力してもらった。
真衣子さんは看護師を非常勤にして、並行して養成講座に通った。
だが養成講座に通う事は、子供を育てながらは難しく、前向きになっていた真衣子さんにまた壁が立ちはだかることになった。
それは母親なら1度は経験するであろう《子供中心の生活との調節》だ。
子供は誰よりもイレギュラーの動きをする。
小さい頃なら尚更だ。
同じ時間に起きず
同じ時間にご飯を食べず
同じ時間に遊ばない。
昼寝の時間を利用して母親が何かをしようと予定を立てても
決めた昼寝の時間に昼寝をしないことなんてしばしばあるのではないだろうか。
急に機嫌が悪くなって抱っこを求められたり、大泣きしたり。
そのイレギュラーな動きをする子供に合わせながら、
看護師の仕事をしながらの、養成講座の勉強。
目の前のことをこなすことで精一杯になり、全く勉強は進んでなかった。
真衣子さんはそのまま《時間がない》を理由に、ろくに練習もしずに、一夜漬けで試験に挑んだ。
もちろん一夜漬けで挑んだ試験は不合格だった。
またもや、うまくいかないスパイラルに突入し、お母さんをケアしたいのに自身がイライラをしている始末。
試験結果は真衣子さんの現状を表していた。
でもその不合格があったから真衣子さんは自分の生活を見直した。
真衣子さんは最初に比べ、バランスボールのお陰で体力は付いてきたが、真衣子さんがインストラクターになるにはまだまだ足りないものがあった。
ひとつは《時間の使い方》だ。
母親というのは時間がない。
いや、やることが母親は想像よりはるかに多いからだ。
でも代わりはいない。
改善策として真衣子さんは、子供がいる時間に勉強できないのならば、逆にしないようにすることを決めた。
そして子供が起きる前に1時間早く起きて勉強することにした。
その他の時間は《ながら方式》に変更し、なにか(家事)をしながら勉強に励んだ。
24時間、一週間の生活を書き出し、どこでバランスボールで弾めるかもチェックした。
そして時間を有効活用し、どこで頑張る、どこで手を抜くかも考えた結果、格段と勉強のスピードは上がり成果に繋がった。
時間の使い方だけではなく自身に足りないものも考えた。
それは《自分が思っている10倍以上を出すこと》《人に頼ること》だった。
これがわかってから真衣子さんは方向性を掴む事ができた。
真衣子さん自身が自身と向き合うことをしたからこそ見えてきた道だろう。
今もこの3つが真衣子さんのベースにあるという。
そのお陰で真衣子さんは、2度目のうまくいかないスパイラルを乗り越えることができた。
その後、真衣子さんは無事試験に受かりインストラクターになった。
遂に産後ケアを伝えられる側から伝える側になった。
《産後バランスボール エクササイズ》、《インストラクターの養成募集》との出会いによって、
自身に向き合い、自身に足りないことを見つけることができたのだ。
2つの大きな出来事との出会いをきっかけに彼女は大きく変化していったのであった。
③毎日を元気に過ごすということ
「長い時間意味のない時間を過ごすなら、短い時間で意味のある時間を過ごす」
真衣子さんは、子供を産んでエネルギーに満ち溢れることは諦めてた。
でも子供がいるということを理由に、色々なことを諦めている自分。
堂々と「子育てを楽しい」と言えない自分。
そんな自分に納得できない自分。
そんな自分を捨てられない自分。
今ある現状を選択しているのも自分で、子供を理由に変えようとしないのも真衣子さん自身だった。
変わりたいって思う人は多いけれど、なかなか変わらない人が多い世の中だ。
なぜなら何事にも決断するには勇気がいる。
不安や恐怖がついて、なかなか決められない時もある。
しかし、決断のする覚悟を持った時点で、未来は誕生し始めている。
「幸せになりたい」と決めた時点で、人は幸せに向かって選択し始めて、何が自分にとって幸せかなのか模索し始める。
未来はすでに誕生している。
あとはその決断を継続すること。手に入るまで決断し続けること。
「本当に自分が欲していることに気づける仕組みができたら、どんなこともうまく行くし、健康にならないはずがない。」
体を動かし、体力をつけたから見えてきたこと。
それは酸素を十分に体や脳に入れて、筋肉を動かし、骨格を整えて自律神経を刺激する。
真衣子さんはエクササイズをし続けて、気がついたら習慣や思考の癖、生き方そのものが変わっていた。
自分が経験したから、同じ思いをしている人の気持ちが痛いほどわかる。
だからこそ細胞やエネルギーのレベルでの活性化を伝え、教え、感じてもらいたい。
本当の意味での体力。「真の体力」をつけることで人生は思い通りにできることを伝えたい。
今は毎日が楽しくて仕方がない。体がどんどん動くのを感じる。朝からやる気に満ち溢れている。
真衣子さんは、子供がいることを理由に色々なことを諦めてしまうのではなく
エクササイズをし続けたことによって、生き方そのものが変わっていったのであった。
「日に日に変わる自分。そんな自分が楽しみで仕方がない!」
④全国に広がり始めたあり方
真衣子さんはインストラクターになり6年経ち
6年目には体力メンテナンス協会の理事に就任した。
今の大半の仕事はインストラクターの養成になった。
生徒に教える側から先生を育てる側になった。
「彼女たちを私が育てる」
「自立した指導士に育てる」
育てる側になった時、そう覚悟した。
真衣子さんが養成講座でしていること。
それはやり方ではなく、あり方を教えることだった。
きっかけ作り。
思考のクセ直し。
出てきたココロの垢を、思考の癖を受け入れる。
在り方の引き出し作業。
「養成講座は〝?〟をクリアにしていく過程。人のカラダを知ることで益々自分や周りの人を愛おしくなる。そんな勉強ができる場所。」
世の中のインストラクターは孤独を感じている人は多いという。
でも体力メンテナンス協会のインストラクターたちは違う。
みなさんに共通して言えることは、インストラクターひとりひとりの笑顔がとても素敵ことだ。
インストラクター個々が、社会全体を観ることを意識し、志大きく、一つの目標に向かって進んでいるからだ。
受講者は日本各地に増え続けている。
真衣子さんをはじめ、全国のインストラクターや指導士、講師の皆さんが伝え続けてるからこその広がりだ。
自身がいいと思わない限り、人は広げる事は全力では出来ないだろう。でも全力で広げてくれる人がいる。
そんな基盤を作っているのが今は真衣子さんなのだろう。
先生を育てる側になる事で見えるものが変わり、大切にそして優先にするものも変わっていったはずだ。
教える人を教えると言う事は簡単な事ではないからだ。
真衣子さんは育てている間は徹底的に教えるが、育てた後、卒業後は自分で決めてもらうようにしている。
求められたら、助けはする。みんなを客観的に見て率直な意見を言う。
でも、最後は自分で決めてもらうようにする。
それが真衣子さんの見守り方だ。
真衣子さんも生徒が増えるに連れ、指導者としての深みも出てきたのかもしれない。
「生徒自身が自分がどれだけ素晴らしいのか、自分がどれだけ楽しいのかを気づくこと」
なにかすごい人になることを目指して学ぶのではなく結果や評価に左右されず、誰のジャッジもいらない。
本来の自分の輝きに気づくことが1番のインストラクターとしての自信にも繋がる。
真衣子さん自身が歩んできた道に、真衣子さん色がさらに加わり
生徒さんに伝えられる。だから支持される。
今では生徒さんにとっては出会ってよかった講師であり、出会いたいと思わせる講師なのだろう。
組織が人をつくるのではなく、ひとりひとりが使命感を持ち、自立して行動し、組織を動かし、作り出していった結果、変化に対応可能な組織となるという。
徐々に広がり始めた協会の輪はさらにさらに広がり続けている。
インストラクター自身が楽しめる環境、生徒は更に楽しむ事ができる。
そんな場所を生み出す真衣子さんの、そして協会の広がりは楽しみだ。
真衣子さん自身が歩んできたこと、学んできたことを教える側の立場になった。
そして、インストラクターたちがさらに生徒さんたちに教え、
沢山の人達に真衣子さんの教えは広がり続けるのであった。
「本質を引き出す、そんな名コーチでありたいと思う。」
⑤女性としての悩み・想い
「お母さんたちってかっこいいってしみじみ思う。」
自身が母親でありながらも〝母親〟というものを客観的に評価する。
母親になるのはそんな簡単な事ではない。
自分の命をかけて新しい一つの命を産み、育て上げる。
という大きなプロジェクトを何年、いや何十年にも渡って行っているのが母親だ。
赤ちゃんが生まれた途端、関心は母体から赤ちゃんへ。
母子手帳も妊婦ケアはあっても産後ケアは抜け落ちている。
母親になると女性は毎日が必死すぎて自身が〝産後〟という自覚はなくなり、心配されることも少なくなる。
産後ケアの専門家とは、産後女性ひとりひとりの自立をサポートする仕事だ。
真衣子さんは産後ケア専門家としても訴え続けている。
「たくさんのことを諦めがちな産後。でもそれが本当に諦めなくてはいけないことじゃない。」
世の中ではまだ知られていないのかもしれないが、産後の体というのは本当に深刻なのだ。
出産ダメージは交通事故があったカラダと同じという。
でもそのカラダで3日後には抱っこが始まる。
3キロのダンベルを昼夜関係なく持ち続ける。
アラーム付きのダンベルは、簡単には休ませてはくれない。
このダンベルは日に日に大きくなり
事故1ヶ月後、やっとお母さんの骨が戻ってきた頃には
約1キロ増え、4キロのダンベルに進化を遂げる。
でも、女性はお母さんだけではいられない。
ダンベルを抱えながら、家事に旦那さんのお世話に。
上の子もいればダンベル重量なんて未知数に、、、。
事故後にリハビリが必要なように
産後にもリハビリのようなケアが必要。
本来は必要不可欠なものなんだろう。
でもやられていない実態はいかがなものだろうか。
自身のことは後回しにすることは多々あるだろうが
よく考えて見たら自身のカラダを大切にする本質に行き着く。
それは、母親が健康でいることは、大切な我が子に会い続ける為ということだ。
真衣子さんも母親として「かわいい我が子のためなら死んでも構わない」と思うときがあるという。
自身がそう思う時があるからこそ、その先のことを考える。
実際問題、母親が死んでしまったら子供達を育てる重要人物はいなくなり、この世で1番の愛情を伝えてくれる人がいなくなる。
それでは愛する子供達が困ってしまう。
だからこそ、産後ケアやバースデーLOVE検診が必要になる。
バースデーLOVE検診とは、真衣子さんが産後ケアのひとつとして伝えているものだ。
年に1度自分の誕生日に健康を確認するもの。
バースデーLOVE検診は1人でも多くの命、その周りの人を守れるようにとプロジェクトは始まった。
メールが届き、検診を思い出して検診に行くきっかけになれればとの思いがある。
大切な人の健康は何にも代えがたいプレゼントだろう。
今病気で苦しんでいる人が、喉から手が出るほど欲しいものが健康だ。
無くしてからでは、手に入れる事が難しい。それが健康だ。
身近のようで遠く、後回しにされがちなものでもある。
だからこそ大切な人のために、自分自身の健康の確認が必要。
バースデーLOVE検診を1年に1回することで
「今年も私は健康だよ」ということを、自分の大切な人たちにプレゼントする事ができる。
今はこのプロジェクトに賛同していただいた病院や市町村との提携をし始めている。
「生き方や考え方、そのもの(自分自身)を見直すきっかけになればいいと思う。」
このプロジェクトが広がり、バースデーLOVE検診が浸透すれば、女性特有の病気発症率は少なくなるだろう。
なにをするのにもカラダがなくては始まらない。
大切な人に何ができるか。
それは今までの感覚とは違うが、自分のカラダのことを考え、大切にすること自体なのかもしれない。
「女性には子供を産んでほしいと思う。子供がいることの幸せを感じて欲しいから」
⑥今後の展望
各地のインストラクター達が熱い使命感を持って伝え続けている為
真衣子さんは最近ますますバランスボールや体力メンテナンスの普及を感じてきているという。
でも真衣子さんは私たちの発信ではまだまだ届けられない方がいるというジレンマに何度もぶち当たる。
「伝えたい、届かない。手が届ききらない。」
もっと伝えたいのにやっぱり1人じゃダメだ。
考え出た答えは、協会が全国各地で開催している「バウンスパーク」を岐阜で開催することだった。
そこで2017年に岐阜支部のインストラクター仲間と行政と絡んで動くプロジェクトを考えた。
準備を重ね、市民活動団支援団体として立ち上げた。
その後市主催のコンペにも参加し、プレゼン。
産後の現状。
母親が体力不足で、子供さえも体力不足な時代。
体力をつけることの大切さ。
バランスボールの効果。
今までの想いを伝え、プレゼンが認められ、無事補助金をいただき開催できることになった。
その後他のインストラクターにも声をかけ、真衣子さんの想いに共感してる方々が増え仲間が増えた。
後援には、岐阜市教育委員会・公益社団法人岐阜県理学療法士会・岐阜市私立幼稚園連合会がついてくれることになった。
協賛してくださる会社様も増え、無事に2018年9月に《ぎふバウンスパーク2018》を開催する事ができた。
100個以上のバランスボールが足らないほどの大盛況だった。
初めての人でも出来るバランスボール。誰もが弾んでみた。
弾むだけで人は変わるという瞬間が生まれ、会場はたくさんの笑顔と幸せな気持ちでいっぱいになった。
《産後ケアを届いてなかった人に届けたい》
この気持ちを持って進んできて、
バウンスパーク開催は着実に、届くきっかけづくりに繋がっただろう。
でもここがスタートのようにも思う。
行政と絡める事でどんな動きができるのか。
ここから更にパワーアップして2019年、バウンスパークは面白い広がりを見せてくれるはずだ。
「立ち止まらず無理に力むでもなく、力を抜いてただひたすら流れにのるのみ!」
⑦福田真衣子語録
「人は誰しも、自分自身が同じ状況に立ち向かってなければ本当にその人の状況や気持ちはわからない。」
最初からじゃなかった。
こんな素敵な笑顔の裏にも沢山の壁はあった。
沢山乗り越えたから、自身でわかったことを今生かしている。
しっかりと着実に、真衣子さんは進み続けている。
順風満帆ではなく、その都度その都度、自身と向き合い前を向いて歩いてきた。
真衣子さんから生み出された思考や想い。
真衣子さんらしい人間らしい言葉で日々綴り続け、伝え続けている。
それは数多くの女性の理想や現実、
そんな中動き出せない、でも変わりたいと思う女性に伝えたいと思うような言葉の数々だ。
経験から生み出された言葉だからこそ、胸に染み入るものもある。
「乗り越える事が出来たから、
乗り越える方法がわかったから、
次は自分が伝える番。
でも無理をしたら駄目だと学んだから
自分のペースを作りながら、
自分の歩幅で進んでいく。」
「人はそれぞれの川がある。
他人の川を羨ましく思うのではなく、真似するでもなく、自分の大河を流れるのだ。それが
自分の人生を生きるという事。
だからこそ自身と向き合う時間が必要になる。」
「停滞は衰退。
自分を止めてしまうのは理性で判断したブレーキ。
自分を危険から守るために備わっているものだ。
けれどそれが過剰に反応して我慢をする。
そうすると直感が鈍り出す。
でも変わるためには、直感が大切。
理性を働かすというより、感覚的に直ちに捉えること。」
「まずは進化したいと思うこと。
思った瞬間、自分の直感が働く。
それに素直に従うことで行動が変わる。
直感が行動を生んで、行動が人格をつくる。」
「家族や仲間や、友達。
周りの人たち幸せにするために自分が幸せになる事。自分をまずは満たす。」
「「私なんて、、」
「うまくいかないかもしれない、、」
そう言う事自体が、決断となり、〝無理〟〝出来ない〟を生む。
それも自らが選んだ道となる。だから独り言でも言わない。」
「一歩踏み出すって不安や恐怖が邪魔してなかなか勇気がいるけれど
実は一歩踏み出しちゃった時点で、もう既に、踏み出すのを躊躇していた自分を忘れてしまう。
一歩をなかなか踏み出せていない人は、年月が過ぎても結局、同じような1年をずっと繰り返しているだけだったりする。」
「行動を起こしたものだけが、思考を現実にすることができる。
すぐに結果が出なくても、目標に向かって進んでることを信じて突き進む。
信じて動き続ければ何らかの形になる。
人は幸せになるようにしか出来ていないのだから。
でもその行動を起こし続けるにはやはり体力は必要不可欠。」
「自分が心地いい人、引っ張り上げてくれる人、目標にしてる人。
そんな人をコーチにする。
仲良しこよしもいいけれど、気を使ったり、愚痴のこぼし合いになるのなら、それは仲良しこよしじゃない。」
「この世の中は可能性に満ち溢れていて
ココロからしっくりと思ったことは現実になるし、未来は明るい。」
「人が潜在的に持っている能力って、実はとてつもなくすごくて。
それは外に気持ちが向いてる時は磨かれず、内に向き合い、自分が自分を受け入れ、ありのままの自分を楽しめた時、その能力は思考以上に発揮される。」
「豊かさは自分で作ることができる。
他人から与えられるものではない。
外からではない。
内側から変化させて行くことで、効果をしっかり自分のものにできる。
そしてそれは周りにどんどん伝染して、良いエネルギーの循環を生む。」
「無駄な時間はない。
1人で歩いて行ってもいい。不安に思う必要はない。
人は1人で生まれて生きていく。
この人生は誰のものでもなく、自分のものだから。」
⑧笑顔の元
壁を乗り越えること。
それは容易くはないが、
真衣子さんはその方法がわかり、実践した。
誰にでも出来ない事ではなく
誰にでも出来る事だったのだ。
それは踏み出す事。
「バランスボールで変われる。人生が変わる。簡単に実感できる。」
真衣子さんはこれからも産後ケアや体力の大切さを伝え続け
たくさんの笑顔を作り続けていくだろう。
そして想いや愛を伝え、たくさんの母親を幸せに、そして笑顔にするのだろう。
お母さんが笑顔になる。
お母さんが笑顔だと子供が笑顔になる。
子供の笑顔から家庭の笑顔が生まれる。
家庭の笑顔を作る存在。
そんな幸せな仕事を日々楽しみながら真衣子さんは今日も笑顔だろう。
自身で発展途上という真衣子さんのこれからは、もっともっとたくさんの笑顔の花が咲くのだろう。
「このままでいいなんてつまらない事を言う女にはなりたくない。夫のためにも子供のためにも、さらに高みを目指せる精神とカラダを維持していたい。」
⑨伝えたいこと
女性だからこう、というフレームにはまってしまっている人も多くいる。
母親も同じだ。
女性だから、母親だからってしていけないことなんてない。
自分が笑顔でいるためにすることなら、なんでもOKなはずだ。
笑顔は幸せを伝染させる。
真衣子さんのように毎日笑って過ごす幸せな時間が広がればいい。
女性が笑顔でいる事が世の中を幸せにする1番の方法かもしれない。
一度しかない自分の人生の中で時間は有限である。
だからこそ真衣子さんのように1つのきっかけで大きく道が開けることも多いにしてあるのではないだろうか。
「一度きりの命の使い方
自分の思い通りに過ごしてほしい。
生まれてきたからには、幸せになる義務がある。」
「自分の時間は限られている。
だったら自分の心の底からやりたいことを精一杯やればいい。
自分の意に反して、誰のために生きる必要はない。
「時間ができたらすきなことをしよう」なんて呑気なことを言ってられる時間はない。」
体力メンテナンス協会