低価格で高品質な服をつくる縫製工場「有限会社サン・クリーク」を訪ねてみた。

TOM
サン・クリークは縫製工場なんだね!
SARA
そうね。小ロットの生産も対応してくれるのよね〜。
TOM
じゃあTOMプロデュースブランドを立ち上げて服を作ってもらおうっと!
SARA
・・・いいけど、そのブランドの需要はあるのかしら・・・

 

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岐阜市にある「有限会社サン・クリーク」をご存知だろうか。
40年以上、婦人服全般を製造し続けている会社だ。レディースのアイテムが中心だが、一部メンズカジュアルも取り扱っている。裁断から仕上げまで、一貫して行っているのが特徴だ。仕事内容や強みなどについて、社長の小木曽 晴美(おぎそ はるみ)さんにお話をうかがってみた。

 

 

 

今回のツムギポイント!
  1. 「家業を継ぐつもりはなかった」
  2. 生産管理の面白さに気付く
  3. 息子さんから最先端の情報を得る
  4. 高い技術を持つ実習生が強み
  5. 大切なのは「自分を信じること」

 

 

①「家業を継ぐつもりはなかった」

 

まずは小木曽社長に、サン・クリークという名前の由来について伺ってみた。

 

「私は2代目です。今はもう他界していますが、元々は父が経営していました。名前は父の苗字である小川(Creek)から来ています。最初は小さな川だけど、光に向かって突き進んで大きな川に成長するように、という願いを込めてサン・クリークと付けました。」

 

苗字から着想を得た素敵な企業名である。小木曽社長はどのタイミングで家業を手伝い始めたのだろうか?

 

「入社したのは20歳です。高校卒業後、1年別の業界で働いてから、この仕事を始めました。ただ経営を交代したのは、父が体調を崩してからです。5、6年前ですね。」

 

もともと、服に興味があったのだろうか?

 

「実は私は、服に全く興味がなかったんです。逆に子どもの頃から家を手伝わされることが多くて嫌でしたね(笑)。」

 

小木曽社長は、嫌だった理由をこう振り返る。

 

「おそらく何をやっているかがわからなかったからだと思います。『この芯をここに貼って』とかいろいろ頼まれました。しかし自分が手伝わされていることが、服のどんなところに必要なのかが、見えていなかったのです。言われたとおりにやっているだけだったので、、面白みがありませんでした。」

 

そういえばドラえもんの「ジャイアン」も、よくお母さんから店番を頼まれて逃げている。実家がお店の子どもの「あるある」なのかもしれない。

 

「ただ、家庭科などで服を作ることは好きでした。よく父に褒められたことを覚えています。高校の授業でも、自分で服をリメイクしました。ただ、全く実家の仕事を手伝おうという考えはなかったんです。」

 

 

②生産管理の面白さに気付く

 

高校の頃、小木曽社長はどちらかというと服飾ではなく飲食系の仕事に興味があったという。

 

「衣食住でいえば、「衣」よりも食べることに関心がありました。高校卒業後はそちらの業界に就職したのですが、退職することになり、次の仕事を探すことになりました。そこで、父が働き手を探していると知ったんです。」

 

そして小木曽社長は、サン・クリークで働き始める。

 

「最初は本当に、次の仕事が見つかるまでのつなぎで働こうという気持ちでした。」

 

しかし大人になってみて、小木曽社長は子どもの頃には気付かなかった面白さに気付いたという。

 

「外注先やメーカーとやりとりをする、生産管理という仕事が、私には合っていました。人と交流して、打ち合わせをして、ものを作って納品していくっていうその工程がとても面白くて気がついたらずっと働いていました。」

 

もともと飲食業に興味があったなど、小木曽社長は人と関わることが好きなのだろう。その特性が、家業にぴったりハマったというわけだ。しかし生産管理は完全に裏方の仕事だ。自分でも服を作りたいという気持ちはないのだろうか。

 

「型紙や仕様書の内容は理解できますが、自分で服をすべて作ることはしないですね。プロの実習生が作ってくれるので、それを見て「ここがいいよ」「ここはもう少しこうした方がいいよ」というのを伝えています。」

 

管理の仕事は大変ではないだろうか?

 

「そうですね。管理する対象はたくさんあります。服の管理はもちろんですが、実習生の管理、営業の管理、本当にいろいろなんです。楽ではありませんが楽しいですよ。」

 

 

 

 

③息子さんから最先端の情報を得る

 

小木曽社長には、20代の息子さんがいる。息子さんはもともと医療系の仕事をされていたが、現在はサン・クリークの仕事にも関わってくれているそうだ。

 

「今はホームページを作っているところです。Instagramでの発信もしています。Google Mapの設定もしました。でも、まだまだ変えていかないといけないところはたくさんあります。なので若い意見をどんどん取り入れていきたいと考えています。」

 

息子さんは、本業をこなしながら、SDGsやMEO対策など、最先端のことについても勉強しているそうだ。なおMEOとは​​Map Engine Optimizati(地図エンジン最適化)の略だ、Googleマップでの上位表示を目指す対策を意味する。

 

縫製のイメージを変え、海外の実習生の方だけでなく、日本の若い人たちに興味を持ってもらえるよう、息子さんの意見を取り入れながら小木曽社長は活動している。

 

 

 

④高い技術を持つ実習生が強み

 

サン・クリークの強みは、小木曽社長が持つ「人を見抜く力」だ。サン・クリークには複数の中国人とベトナム人の実習生が勤務している。雇用するにあたり、ここ数年はコロナ禍で行けなかったが、それまでは小木曽社長が直接現地に赴いて採用してきた。皆、良い人材だという。

 

「技術のムラは多少ありますが、みんな服を作れます。うちは工場で大量生産するわけではありません。作業を分担して流れ作業にした方が効率は良いですが、うちは大きな会社ではないので、一人ひとり、1枚の服を作る技術を身に付けてもらっています。うちで働いてくれている皆さんが良いものを作ってくれるので、そこが一番の強みです。」

 

少子高齢化などの影響を受け、さまざまな業界が人手不足に陥っている。サン・クリークも例外ではない。

 

「岐阜県は、かつてアパレルや縫製が盛んだった地域です。私たちの親の世代は、内職の人たちがミシンを使って服を縫っていました。しかし今は高齢化が進み、実習生が頼りという状況です。衣食住は、人間にとって最も大切なものです。そのうちの1つである「衣」を扱う仕事に携わっている以上、その技術を絶やさずに、次の世代へつなげていく必要があると考えています。」

 

江戸時代、岐阜は木綿の産地だった。この地で作られた「美濃木綿」は、耐久性があり人気だった。明治時代に入ると絹織物の生産が盛んになり、国内のみならず、海外にも輸出されるようになった。岐阜県は、長く日本の繊維産業の中心地だったのだ。その伝統を次世代につなぎたいと小木曽社長は考えている。

 

 

 

 

⑤大切なのは「自分を信じること」

 

外国人技能実習生制度は、1993年に始まった。日本の企業が発展途上国から若い労働者を受け入れ、日本の技術や知識を習得させることを目的としていた、しかし実習生の労働条件や人権の問題があり、2009年に改正された。

 

その外国人技能実習生制度が、育成就労という制度に変わるのはご存知だろうか。より、実習生の立場に寄り添った制度になる。

 

今までの制度との最も大きな違いは、転籍が可能になることだ。過去の制度では転籍が認められなかった。しかし新制度では、1年就労すると、本人の希望で転籍ができるようになる。実習生は、より高度な技術を学べる会社や高い給料をもらえる会社に移るなど、就労先を選べるようになるのだ。企業は実習生が移ってしまわないよう、努力する必要がある。

 

日本の就労人口が減少し、人手不足が問題になっている今、外国人労働者が働きやすい環境を整えるのは、重要な課題なのだ。

 

サン・クリークは「MSI協同組合」に加盟している。岐阜市に本部を置く一般社団法人で、外国人技能実習生の環境改善にも取り組んでいる。同団体は外国人技能実習生受入れ一般(優良)監理団体として認定を受けている。ホワイトな経営を心がけているからこそ、良い人材が集まり、定着するのだろう。

 

経営者としてさまざまな苦労を乗り越えて来た小木曽社長だが、大切にしているものは何だろうか?

 

「自分を信じるということです。大変なことやつらいこともありますが、その言葉を胸に、日々高品質な製品をお客様にお届けしています。」

 

生地のカットから仕上げまで、一貫して服を作れるため、低コストかつ高品質を実現しているサン・クリーク。小ロットの生産も相談可能なのが嬉しい。巾着やマスクなどの小物にも対応してもらえるという。興味のある企業様は、一度相談してみてはいかがだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

有限会社サン・クリーク

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