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美濃市にある麺馳走オオカミをご存じだろうか。
2024年4月にオープンした、ラーメン好きなら要注目のお店だ。お店を開くまでの紆余曲折や苦労、そして美味しいラーメンの秘密を店主の大池 敏満(おおいけ としみつ)さんにお話をうかがった。
- 自家製麺とスープへのこだわり
- ラーメンとの出会い
- 製造業の経験をラーメンに活かす
- まかないを毎日Instagramにアップ
- 人を育てて歴史を紡ぎたい
①自家製麺とスープへのこだわり
麺馳走オオカミは、東海地方を代表する自家製麺ラーメン店「麺屋白神」で6年間の修行を積んだ大池さんが満を持してオープンしたお店だ。ショッピングセンター内にあり、アクセスも非常に便利である。雑誌「デートプラス2024東海版」に掲載されるなど、オープン前からさまざまなメディアに取り上げられている。
「麺屋白神」ではラーメン作りだけでなく、本店の店長として、限定商品や雑誌とのコラボ商品の開発にも携わってきた。
大池さんは独立前から自家製麺に強いこだわりがあり、「麺まで作ってこそ本物のラーメン店」という信念を持っている。白神グループ専用小麦「北の麦味」を使用し、スープに合うしなやかな食感が特徴だ。
スープは、動物系と魚介系の旨みが絶妙に調和した、奥深い味わいの「清湯」だ。動物系スープは、鶏ガラ、丸鶏、豚肉、豚骨、野菜などを丁寧に煮出している。魚介系スープは、アゴなど他数種類の煮干し、昆布、干し椎茸、干し貝柱などを贅沢に使用している。コクのある動物系スープと、上品な香りの魚介系スープを合わせることで、唯一無二の奥深い味わいを作り出しているのだ。
10代の頃からラーメンを愛している大池さんの、長年の研究の集大成といえるだろう。
また、水にもこだわっている。専用の浄水器を使い、不純物を99%カットした超軟水。この水を使うことによって、素材や小麦の味がより引き立つのだ。
店名の由来は、大池さんの「大」の字と、修行先である「麺屋白神」の「神」の字を組み合わせたものだ。
「白神で働いて2年くらい経ったときから、自分がお店を出すときは白神から1文字もらおうと考えていました。また、馳走というのは客人をもてなすために、食材を求めて走るっていう意味合いがあるそうです。お客様をもてなすという意味を込めました。あとラーメン屋ということがわかるように頭に麺をつけて麺馳走オオカミにしました。」
「麺馳走オオカミ」には、「お客様に喜んでもらえるような美味しいラーメンを作りたい」という店主の熱い想いが込められているのだ。
②ラーメンとの出会い
大池さんは長野県出身。長野県産の醤油を使うといったこだわりもある。父親の影響もあり、もともとラーメンが好きだったという。
そんな大池さんがラーメンに深くのめりこんだきっかけは、中学時代に出会った国語の先生の影響だ。その先生は、授業の合間にラーメンについて熱く語っていた。その話を聞いていた大池さんも、次第にラーメンに惹かれていった。その先生が一番好きだったのが、塩尻市にあった「中華そば 末広」。大池さんもまた煮干しベースの透き通った清湯スープに衝撃を受け、高校も「末広」の近くにある学校を選んだのだ。
高校時代からおいしいラーメンの食べ歩きをしつつ、飲食店でのアルバイトにも励んだ大池さん。そんな大池さんが高校卒業後の進路に選んだのは、意外にも大手機械メーカーだった。
「当時はラーメン屋になれると思っていませんでしたので、高校を卒業した後は普通に働いていました。社会人になってから、自宅でラーメンを作ってみたのですが、やはりうまくいきませんでした。その後、転勤で愛知に行ったのですが、そこでもラーメンの食べ歩きをしていました。白神は転勤してすぐに食べに行きました。やっぱり有名なラーメン店として、白神の名前が出てくるんですよね。」
大池さんは、ラーメンに関する情報を収集をしているうちに、あることに気づく。
「東海地方で騒がれているラーメン店は、白神出身の人が多いんですよ。この店、好きだなと思って調べたら白神だったりとか。そして、やっぱりいつかは自分でも自家製麺のお店を出したいなと思うようになりました。」
③製造業の経験をラーメンに活かす
やっぱりラーメンをやりたいと感じた大池さんは、メーカーを退職した。しかし飲食店をやるには、接客経験や会計の経験が不足していると感じた大池さんが次に選んだのは、ある大手飲食チェーン店だった。そこではマネージャーとして、顧客とのコミュニケーション手法や、満足度を高める方法を学んだ。
「ラーメンの勉強をする前に、大手のチェーン店の飲食店経営を知りたかったんです。」
さらに売上管理、経費削減、従業員教育など、店を経営する上で必要な知識を学ぶ。その合間に独自でラーメンの勉強を重ねていった。その後、白神で6年間修行したのだ。
そんな大池さんが、一番仕事で大変だと感じたのは、20代の製造業時代だったという。
「製造とか品質とか、何も知らなかったので大変でした。ものづくりのノウハウを叩き込まれましたね。現場を管理する仕事もしていましたし、人材育成にも関わっていました。」
一見、ラーメンとは全く関係ないように思える製造業。しかしラーメン作りは、スープの仕込み、麺作り、タレの調合など、多くの工程がある。それぞれの工程で品質を管理することが重要だ。工程管理、生産管理、人材育成、品質改善、作業改善といった「ものづくり」のノウハウは、ラーメン作りにも活かされている。
「製造業で培ったものづくりの経験は、今も生きています。自分の一番のベース・軸になっていますね。20代のときにラーメン屋をやってなくてよかったと思っています。」
人生において、無駄な経験なんて一つもない。大池さんのユニークな経験が、他店にはない個性を作り出しているのだ。
④まかないを毎日Instagramにアップ
長野県出身の大池さん。独立するにあたって、生まれ育った信州に戻るという選択肢はなかったのだろうか?
「もちろんありました。ただ修行時代に知り合ったお客様を大事にしたいと思ったのです。長野に帰ってしまったら、なかなかラーメンを食べてもらえないですからね。あと長野県って、実はラーメンが盛り上がっているんですよ。」
大池さんいわく、長野はご当地ラーメンこそないものの、いろいろなジャンルのお店があるのだという。
「岐阜県は、長野県に比べるとラーメン店が少ないので、お世話になった岐阜で、ラーメン文化を盛り上げていきたいというのもありました。」
もちろん、ルーツである長野県のことも大池さんは大切にしている。
「調味料は、故郷である長野県を意識して使っています。たとえば醤油は長野県のものを使っています。信州味噌も今後は使っていきたいですね。」
多くの名店を輩出してきた白神の「最後の卒業生」という大池さん。プレッシャーはあるだろうか?
「そうですね。白神の看板を背負っている一人だという気持ちで日々ラーメンを作っています。」
そんな大池さんは、白神で修行しているときにあるチャレンジをしていた。
「修行を開始して3か月くらい経った頃から、日々のまかないをInstagramにアップしていったんです。ラーメンを作り始めてから、思っていることと、味が一致しないことにとても苦労していました。そこで、毎日ラーメンを作ることを自分の修行としたんです。明日はこれを作ろう。このような味にしよう。トッピングはこれでスープはこうしようと、テーマを決めて作りました。」
なぜ、Instagramにアップしようと思ったのだろうか?
「発信するのであれば、やはりきれいにラーメンをつくる必要があります。味にも納得できて、きれいに作るにはどうすればいいのかを、常に考えていました。」
まかないはお客様に出すものではないのだから、きれいに作る必要はないかもしれない。しかし大池さんは、あえて大変なことに挑戦したのだ。
「最初はうまくいかなかったのですが、繰り返し作っていると、だんだん頭に浮かんだイメージと味が一致するようになってきました。またスピードも上がりました。卒業するまで続けていましたね。」
この修行のメリットは他にもある。
「Instagramにアップすることで、お客様の反応が見えますからね。どういったものが売れるのかがわかります。まかないから生まれた限定商品もあるんですよ。Instagramのフォロワーも増えました。」
⑤人を育てて歴史を紡ぎたい
最後に、麺馳走オオカミの今後の展望をうかがった。
「美濃市の食材を使い、美濃市の名物になるようなラーメンを作りたいですね。道の駅にもおいてもらえるような、お持ち帰りの商品をつくる構想もあるんですよ。より広く、オオカミを知ってもらいたいですね。」
大池さん個人の展望はあるだろうか?
「個人としては、僕が白神に育てられたように、僕も人を自分で育てたいという夢があります。そうすれば、オオカミの歴史だけでなく、白神の歴史も続きます。そういう恩返しの仕方もあると考えています。」
美濃市といえばオオカミ、そう言われるような日も近いかもしれない。麺馳走オオカミのラーメンは、若い人はもちろん、高齢のお客様も多く訪れる。ラーメン好きの方はもちろん、こってりしたラーメンは苦手……という方も、ぜひ麺馳走オオカミの清湯ラーメンを味わってみてはいかがだろうか。