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岐阜市殿町にある「YASUDA HIROMICHI:STUDIO」をご存知だろうか。
複数の社内ブランドラインをもち、職人さんのこだわり商品をリリースする工房だ。今回は代表を務める職人の安田 広道(やすだ ひろみち)さんにお話を伺った。
- 革製品に興味を持った頃
- 革物を学び、アシスタントの仕事へ
- 30年ぶりに岐阜へ
- 2ラインでそれぞれのスタイルを
- ハンドメイドが集まる場所を作りたい
①革製品に興味を持った頃
「Hiromichi Yasuda」というご自身の名前をつけたブランドラインと、旧屋号の「gren」というブランドラインの2本軸で制作をしている。
「修行を2001年からスタートして、旧屋号grenをはじめました。私は、大学を卒業後に名古屋で就職したんです。サラリーマンをやっていたんですよ。大学時代に環境問題とアウトドアに興味があったので、地球や環境のために何かできないかなと考え就職しました。大学時代、靴や革物を取り扱うアウトドアショップでバイトをしていて、それで革物グッズにはまったんです。」
そこでアウトドアグッズや革物に興味を持ち、専門の雑誌を眺めていたところ、東京の素晴らしい鞄職人さんを見つけたという。
「革物はイタリアが本場だと思い、留学に行こうかと考えていましたが、やはりお金がかかるので、学ぶのに何かいい方法は無いかと考えていたんです。ある時、雑誌を見ていたら、日本ですごい鞄を作ってる人を見つけたんです。日本にこんなにもすごい人がいるのかと驚きました。是非、この人の手伝いをしたいと思って、すぐに電話しました。その方は、東京でフルオーダー受注をやられてる方で、弟子は雇ってないけど教室を開いているから見に来ないかと言われたんです。見に行くと、自分が求めていたものがあったんです。なので、すぐに当時勤めていた会社を辞めようと決めました。」
それが29歳の頃だという。製作経験はなかったが、革物作りを学びたい一心で東京に向かい、東京で働きながら鞄教室に通ったという。
「その年は生徒さんがいっぱいで、教室に空きが出るまで1年待ってほしいと言われました。そこでこれまでの製作経験を聞かれ、まったく経験がないことを伝えたんです。そしたら自分の家でもできる事を教えてもらい、教室を待っている間に、”なんかできたら僕のとこ持ってきて”と言ってもらいました。」
②革物を学び、アシスタントの仕事へ
1年間教室に通った時、先生にある誘いを受けたという安田さん。
「先生の知り合いのところで鞄のサンプル職人のアシスタントをやらないかと誘っていただけたんです。これまでは1つの作品を作り込む事をしていたのですが、サンプル職人は早さと効率が重要な仕事なので、今までとは全然違うやり方なんです。戸惑いはしましたが、チャレンジしてみたい気持ちが大きかったので、アシスタントとして行かせてもらいました。身近で量産の仕方などを見せてもらいました。」
革物職人と同じく革製品を作るお仕事ではあるものの、求められるスキルが違うサンプル職人というお仕事に触れたそうだ。
教室での先生との出会いもアシスタントの経験もどちらも安田さんの重要な経験になっただろうと感じた。その後、友達とふたりで革物ブランドを作ることを目指したという。
「バイト先にとっても気が合う子がいたんですが、その子が手伝いたいって言ってくれたんです。なので、一緒に始めました。革物の経験はなかったけど、彼に教えながら僕も作るっていう形も面白いかもなと思って。名前は”gren”ってつけました。由来は2人とも音楽が好きだったので、好きなアーティストの名前からつけたんです。その後、彼が体調を崩してしまい、一緒に続けることができなくなってしまったんですが、今でも自分のブランドにgrenというラインを残して大切にしています。」
そうして東京をメインに活動された安田さんは、その後地元である岐阜に戻り、岐阜のレンタルスペースや様々な店舗が入居する岐阜ビルで自分のブランドショップをオープンしたそうだ。
③30年ぶりに岐阜へ
東京での活動を思い返して、安田さんはこう語った。
「東京にいたときは、誰とも接することなく黙々と作業していたんです。このままで良いのかと思い。生活を変えてみようと思ったんです。次はどこで何をしようかと考えた時に、今まで心配かけてきた両親の近くでお店を出したいと思い30年近くぶりに岐阜に戻ってきました。久しぶりに戻ると自分の知っていた岐阜とは大きく変わっていたんです。今の岐阜を知りたいなと思ってまず岐阜に住み始めて、毎日街を散策するようにしました。」
そこで岐阜ビルとのご縁に恵まれ、無事にテナントとして入居を決めることができたそうだ。
「1階はイベントスペース、2階からいろんなジャンルの店舗やワークスペースが入っていたんですが、3階に入居したんです。それでようやく念願の、ショップを持つという夢が叶いました。」
④2ラインでそれぞれのスタイルを
2ライン展開をしているYASUDA HIROMICHI:STUDIO。
ちょうど岐阜にショップをもった頃にコロナウイルスが流行し、時間ができた時期があったという。その中で安田さんは、自身の鞄作りを試行錯誤されたそうだ。その試行錯誤された結果がHIROMICHI YASUDAラインの商品に生きているという。
「HIROMICHI YASUDAラインに「URUSHI」という商品をリリースしています。漆を用いた商品なんです。コロナ期間中に漆の研究をしたんです。漆って粘度が高くて塗ったらパキパキになっちゃうので、どうしたら商品に活かせるかを考えて試行錯誤したんです。試行錯誤を繰り返したら、革特有のしなやかさを保ったまま革に豊かな表情というか風合いを出すことができたんです。」
URUSHIシリーズの誕生秘話を教えてくれた。
「僕自身がアパレルとかファッション以外にも、工芸品やアンティークが好きなので、漆と革を合わせたことで、もしかしたらアンティークの風合いがある商品が作れるのではないかと思ったんです。そうしてHIROMICHI YASUDAは自分が作りたいものを追求したブランドになりました。」
安田さんの想いを反映させたHIROMICHI YASUDAに対して、お客様のニーズに寄り添うブランドがgrenだ。
「個人でやっているので、お客様と話していていただく意見はやはり頭に残っているので、鞄を作る中で反映しています。結果としてですが、お客様に寄り添った商品にすることができます。ハンドルの長さとかポケットが欲しいなどの声に対して、できる限りやることはやります。自分の作りたい物を作れることもお客様の意見に寄り添うこともどちらもできるのが個人でやっている強みだと思います。」
YASUDA HIROMICHI:STUDIOのアイテムは、全国のお付き合いのあるショップで展示や販売もしているそうだ。
「広島、静岡、福島、仙台、など繋がりのあるお店に商品を置いてもらっています。新しいところに行きたいなって思いもあるのでちょこちょこ営業はかけてるんです。福島行ったら、ちょっと仙台まで足を運んでいろんなお店を見て話をしてみたりはしています。」
全国に間口を広げるほどの人気ぶりを誇るYASUDA HIROMICHI:STUDIO。製作も営業もご自身で行うとなると、さぞお忙しいはずだが、安田さんは楽しくて仕方がないのだと話してくれたのが印象的だった。
「岐阜に戻った2022年、独立して本当に忙しくて、3ヶ月くらい休めない時期があったんです。毎日夢中になって仕事をして。ふと気がつくともう3ヶ月は休んでないと気がついたんです。だけど不思議と嫌じゃなかったんです。自分がやりたい事をやれていて夢を叶えて行っていることが楽しかったんです。時間を忘れて没頭できるものに出会えたっていうのは、本当に運が良かったのだと思ってます。」
安田さんが心を込めて、夢中になって製作されるアイテムたち。一度手に取ってみてはいかがだろうか。
⑤ハンドメイドが集まる場所を作りたい
取材の最後に、安田さんの夢を伺った。
「やってみたいことは、たくさんあります。実は1つ夢を叶えたんです。先日、路面店を開店したんです。少しずつですが夢を叶えていっています。今後は、小さいビルを借りてこれまで繋がった別の業種の方を呼んでイベントを開催したり、いろんな方のハンドメイド作品を置いたりもしたいです。もちろん今後もカバン屋は続けますが、工芸品が好きなので、自分の好きな器とか木工製品とか、自分の好きなものを集めて販売する場所を持ちたいなと思っています。」
自分一人だけではなく多くの方と繋がりみんなと楽しめる場を持ちたいと楽しそうに語ってくれた。
アイテムを作る上で安田さんが大切にしているのが「自分に嘘をつかないこと」だそうだ。
「まあ、これでいいかじゃなくて、どこまでも自分が納得いくものを作りたいですね。100%納得のいく物はなかなか難しいんですけど、でもここだけは譲れないみたいなところは自分に正直にこだわり抜きたいです。会社じゃなくて個人でやってるのに、自分に嘘をついたらやってる意味ないって思っているので。こっちの方が作り方は簡単だけど、やっぱり本当はこっちの方がいいんだよなって思ったら。手間はかかるけど後者を選びます。」
職人として安田さんが作りたいものを作るブランドと、お客様の声を聞いて成長し続けるブランドを併せ持つYASUDA HIROMICHI:STUDIO。
革物を作りたいという憧れから修行を始めた職人が作る、制作の喜びに溢れたアイテムをあなたもぜひひとつ身につけてみてはいかがだろうか。