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美濃市にある「喫茶リバティ」をご存知だろうか。
50年の経験を持つ店主とその家族が作るこだわりの料理を味わえる、自由の女神像が目印の喫茶店だ。今回は、店主の平林 洋治(ひらばやし ようじ)さんにお話をうかがった。
- 探求心と情熱が尽きない、飲食の道50年の平林さん
- 娘のアイデアでバーから喫茶店へリニューアル!
- 偶然が生んだシンボル「自由の女神像」
- 山間という立地を生かした独自性
- 幅広い世代に愛される喫茶店を目指して
①探求心と情熱が尽きない、飲食の道50年の平林さん
自然豊かな美濃市の山中にある、自由の女神像が目印の喫茶リバティ。この女神像は地域でも親しまれている象徴的な存在になっている。緑に囲まれたログハウス風のお店は、2024年5月にリニューアルオープンを果たした。リニューアル前の2023年12月までは、シーダーウォールの名前で、バースタイルの居酒屋を33年間営んでいた。
店主の平林さんは、美濃市出身で1949年生まれの75歳。25歳から起業して今年で飲食の道50年のベテランである。その功績で飲食組合から表彰された。
「両親が商売人で、家族の周りに会社勤めの人がいませんでした。そういう環境で育ってきたので、起業に対する抵抗はなかったです。」
当時25歳の平林さんは、迷うことなく喫茶店をオープンさせた。喫茶店では、コーヒーのほかにランチにも力を注いだ。カレーや焼きそば、うな丼など地物を取り入れながら、13年間取り組んだ。
その後、古着に興味を持ち輸入雑貨店を3年間営んだが、飲食業に集中しようと思い立ち、バースタイルの居酒屋「シーダーウォール」を開業したのだった。
「料理は自分で食べ歩いて独学で習得しました。ちなみに、うなぎは、父が川で捕まえたものを、父に調理してもらい提供していました。一方で、バーテンダーの勉強は、名古屋の学校に通っていました。午前中授業を受けて、昼から紹介されたレストランでアルバイトをしながら習得しました。」
好奇心が旺盛な平林さんは、バー時代には手打ちそばに興味を持ち、そばの勉強をしてバーで提供していた。最近では、ピザ窯を作りピザの提供も始めた。自分が興味のあることへの積極的な挑戦と探求が、50年の長きにわたる経営を支えているのだ。
②娘のアイデアでバーから喫茶店へ、大型リニューアル!
33年間営んできた「シーダーウォール」の改名と改装して運営形態を変えたのは、コロナがきっかけだった。
「コロナの流行とともに、飲みに来るお客様が減っていきました。この状況を踏まえ、家族で相談したところ『喫茶リバティ』案が出たんです。当初は、お客様の反応を見ながら試験的に運営していましたが、反応も上々だったためリニューアルオープンに踏み切りました。」
リニューアルオープンは、娘さんが中心となってプロデュースした。喫茶リバティの運営は、世の中の流行に敏感で、岐阜市でさまざまな店舗経験をしてきた娘さんの意見を尊重しているという。
「今まではバースタイルのお店だったので、喫茶店の雰囲気に合う椅子やテーブルが必要でした。もともとDIYが好きなので、今回は木を掘るところから、椅子やテーブル、入口の丸い看板を作りました。」
自分たちのお店だから、できる部分は自分たちの手作りで仕上げる。無駄な費用を抑えつつ、手作りだからこそ自分たちの理想を形にできるという商売人魂が感じられる。
その一方で、33年間続けてきた居酒屋を、いきなり喫茶店に変更することに、不安はなかったのだろうか?
「不安はたくさんありました。だから、私たち夫婦だけでは決断できなかったと思います。今回は娘が提案してくれて、プロデュースしてくれたことが大きいです。」
もともと岐阜市でチーズケーキ作りをしていた娘さんは、喫茶リバティのオープンにあたり、チーズケーキ作りに必要な設備を含めて、拠点ごと美濃市に移してくれた。
平林さんは家族の深い絆をかみしめている。
「プリンは妻が、チーズケーキは娘が作って、ネットでも販売しています。みんな自分の得意分野に専念することで、全体で伸ばしていきたいです。」
一家で団結してコロナ禍を乗り越え、それが現在の喫茶リバティの形になっている。平林さんの柔軟な考えが、家族をまとめ上げ、喫茶リバティを押し上げているのだ。
③偶然が生んだシンボル「自由の女神像」
店名の「リバティ」は、店外にある象徴的な自由の女神像から取って名付けられた。では、自由の女神像はどのようにしてできたのか?
「もともとは、パチンコ屋のモニュメントだったんです。パチンコ屋の解体を請け負っていた友人が、面白いものがあると言って、運んできたのがきっかけです。実際には、運んできた当日に女神像の大きさを知りましたが、もうどうしようもなかったので、この地に設置することを決めました。」
自由の女神像の下には10トンの基礎が埋めてあり、友人から一度置いてしまったら簡単には動かせないと言われたという。それから20年以上経って、結果的にシンボル化している。
お店の前の道路は、ツアー・オブ・ジャパンという自転車レースのコースになっており、毎年テレビに映る。今ではアナウンサーが、「自由の女神が見えてきました」と実況で話すほど親しまれているという。店の名前を喫茶リバティに改名した今、自由の女神像を宣伝に利用しない手はない。
「もちろん、自由の女神像だけを全面にだして宣伝することは考えていません。一番大切なのは提供できるサービス内容ですから。うちは女性のお客様が多いので、女性に好まれるメニューをみんなで考案しています。特に、妻と娘が作るプリンとチーズケーキが一押しです。」
自由の女神像を引き取った理由を聞かれても、理由はないと答えるという。思いがけない事から、事態が好転していくことがある。食わず嫌いせず、一度受け入れてみるという寛容さを感じるお話だった。
④山間という立地を生かした独自性
喫茶リバティに来るお客様は地元以外の方が多い。多くの方がインスタグラムを見て訪れている。その一方で、最近は近所の方も訪れるようになってきた。近所の会社から従業員向けのランチ弁当の注文もあるのだそうだ。
「この近辺には飲食店がないので、それが強みかもしれません。コンビニもない山間なので、みなさんが外食したいときに重宝するのでしょう。」
逆に言えば、山間だからこそ、お店から一望できるロケーションも、喫茶リバティの魅力であり強みなのである。
「食材は、近隣で栽培されたできるだけ農薬を使っていないものを仕入れたり、ピザやプリン、チーズケーキをはじめとする手作りメニューにこだわったり、お客様に満足いただけるよう料理の質を高めています。」
食材にもこだわり、現在でもより料理の質を高める改善は色々試行錯誤していると話してくれた。
「いつでも外で食べられるようにテーブルなどセッティングしています。週末になると、特にロードバイク(自転車)をされるお客様が多く、『外の席は気持ちがいい』と好評です。」
自然の香りやぬくもりに囲まれながら、こだわりの料理を楽しめるのは貴重な体験である。自然を感じられる場所として、喫茶リバティは独自の付加価値を提供している。一方で、ロケーションの良さに甘えず、質の高いご飯を提供してリピーターを増やしたいと平林さんは考えている。
⑤幅広い世代に愛される喫茶店を目指して
飲食業界で50年以上、興味のあることへの挑戦と探求を続けてきた平林さん。年齢を重ねるごとに、完成を求めるがゆえの不安が増しているという。
「毎日いろいろなことを考えながら取り組んでいますが、何か足りないかもしれないとさらなる完成を突き詰めてしまうんです。私の中では、これまで未完成のまま生きてきたので、これで完成というものがないのです。」
妥協することなく理想を追い求めて取り組む姿勢は、プロとしての責任感が感じられる。そんなプロフェッショナルな平林さんに、今後の展望をうかがった。
「お子様からおじいちゃんおばあちゃんまで、幅広い世代に通ってもらえる喫茶リバティにしたいと思います。」
「シーダーウォール」を営んでいた33年間、3世代にわたってお客様が来ていたという。最初は平林さんと同世代のお客様が来て、その後息子が来るようになり、さらに歳を重ねて孫が来た。平林さんはこの地で愛される店を目指しているのである。
自由の女神像を目印として美濃市の山間に調和する喫茶リバティは、こだわり抜かれた一品と自然の良さをどちらも楽しめる。
お店の場所はサイクリングのコースにしやすかったり、お店から10分ほどの場所に日本有数の自然の岩を利用して登ることができるボルダリングの名所がある。
近くを通りかかることがあれば、ぜひ喫茶リバティに立ち寄ってみてはいかがだろうか?