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岐阜市にある「魚ぎ(うおぎ)」をご存じだろうか。
明治43年(1910年)から続く、岐阜市の老舗魚屋だ。今回は四代目である代表社員の内藤 彰俊(ないとう あきとし)さんにお話をうかがった。
- たくさんの魚に出会える「食べる水族館」
- 岐阜で新鮮な魚が食べられる
- 子どもたちを魚のとりこにしたい
- お客様に感動を与える魚屋さん
①たくさんの魚に出会える「食べる水族館」
「魚ぎ」は、岐阜市玉宮町にある老舗の鮮魚店だ。令和の時代に内藤さんの手によって、イートイン併設の魚屋として新しいスタイルに生まれ変わった。店内では、旬の魚や海鮮丼、お弁当などを販売している。また、子ども向けの魚の職業体験も行っており、「食べる水族館」として親しまれている。
しかしなぜ「魚ぎ」なのだろうか。
「なぜこの名前にしたのかは、正直わかりません。会長である父も知らないようです。ただ、ひいおじいさんが「喜一」という名前だったので、うちの店は岐阜の市場で昔から「喜(ヨロコブ)さん」と言われているんです。喜の字がなまって「ぎ」になったのかもしれません。」
そして、インパクトのある素敵なフレーズ「食べる水族館」についてもうかがってみた。
「うちでは50種類から60種類の魚を売っています。それを見たお客様から『食べる水族館みたいね』と言われたんです。すごく良いと思ったので『そのまま頂いてもいいですか?』と聞いて了承を得ました。そして僕の代になってから「食べる水族館」を付けたんです。」
魚屋に生まれた内藤さんは、高校を卒業後、福岡と東京で約2年間修行した。
「東京では大田市場のマグロの仲卸(なかおろし:卸売業者と小売業者を仲介する業者)のところで夜中から朝まで働いて、終わってからは蒲田の仕出し屋で住み込みで料理をしていました。その後、魚ぎに戻ってきてほしいと言われて戻ることにしたんです。」
幼い頃から、「自分がいずれ魚屋を継ぐだろう」と考えていたのだろうか?
「そうですね。僕は長男で、かつ第一子でしたから。うちは特に昭和の時代はめちゃくちゃ忙しくて、お客様も星の数ほどいて、皆さんから「四代目ちゃん」と言われていました。ですから、自然と「自分が四代目」というのが染み付いていました。」
反発はなかったのだろうか?
「もちろん、若い頃はありましたよ。車が好きなので、子どもの頃はレーサーになりたいとか、車を触る仕事をしたいと思っていました。ただ、最近久しぶりに中学の同級生に会ったんですが、そのときに『中学のときから魚屋を継ぐって言ってたよね』と言われました。僕は一切覚えていなかったんですけどね(笑)。」
やはり、幼い頃から心のどこかに「魚屋になる」という想いがあったのだろう。
②岐阜で新鮮な魚が食べられる
ずっと魚屋メインだった「魚ぎ」だが、コロナ禍だった2020年12月に飲食店をオープンさせた。新鮮な魚を煮魚・焼魚・お刺身とさまざまな食べ方で味わえる。
プロの目利きによって選ばれた鮮度の良い魚を、その場で食べられるのは大きな強みといえる。
しかし、コロナ禍はどの飲食店も大変な思いをしている。テイクアウトのみという選択肢は当時なかったのだろうか?
「なかったですね。イートインのスペースは、あくまで魚屋の事業に付随するものです。イートインを始めたのは、魚を余すところなく楽しんでいただきたいと思ったからです。魚ぎはもちろんイートインもしっかりやっていこうと考えていました。」
飲食店でガッツリ儲けよう!というのではなく、魚のプロだからこそ出来る魚の美味しい食べ方や楽しみ方を提供したいというのが、開店の理由だったのだ。さらにもう一つ理由があるという。
「岐阜って、魚をおいしく食べるのが苦手な地域なんですよね。お客様からは『岐阜に来て、ようやく良い魚に出会えた』と言っていただけるので、お客様のためにも良い魚を食べられる場所を提供したいというのもあります。」
魚ぎは、初代の頃から魚を寝かせて熟成させ、味を引き出してからお客様に渡すということをずっと続けて来たという。魚屋として、美味しい魚をお客様に届けたいという想いがずっと受け継がれているのだ。
営業時間は朝10時から夕方17時まで。夜の営業はない。
「うちから魚を卸しているお客様のお店が何軒もあるので、うちでわざわざ食べてもらう必要がありません。お客様の店に行っていただいた方が、うちとしてもうれしいですからね。こういうものが食べたいというのを言っていただければ『それならあのお店がおいしいよ』という話もさせていただいております。」
イートインも順調な「魚ぎ」。しかし、やはりメインの柱は「魚屋」というわけだ。
③子どもたちを魚のとりこにしたい
「魚ぎ」では、職業体験イベントも開催している。
「職業体験は、父親の代のときに始めました。ずっとやり続けていると、地域に恩返しできているという実感が湧きます。自分もこの町で生まれ育って、地域の人にいろいろしてもらってきました。」
そして、実は世界的に有名なファーストフード店もヒントになっているという。
「某ハンバーガー店は、小さい頃に食べた親がファンになって、自分の子どもを連れて行くと言いますよね。良い意味で無限ループになっています。同じことを魚屋でもやりたいと思っています。子どもたちを魚のとりこにしたいんです。そのためにできることをやろうと思い職業体験や、自由研究で魚をさばくという体験をやっているんです。」
小さな頃から、魚に触れてもらって、魚を身近に感じてもらうことで、魚を好きになってもらおうというわけだ。
「岐阜には魚が苦手な人もいますし、魚料理をつくらない家庭もあります。福岡でも、東京でも、魚料理をする人をたくさん見てきました。そして『このお魚はこう調理するとおいしくなるよ』というのを、逆にお客様から教えてもらっていました。しかし岐阜ではそういったことがあまりありません。なので自分の知識や自分が教えてもらった事を皆さんにお伝えしたり提案したいと思っています。」
また、魚ぎではマグロの解体ショーもやっている。
「岐阜の春と秋の祭りで「道三祭り・信長祭り」というのがあります。玉宮町では、それに合わせて、玉宮祭りというものを開催していました。そのときに声をかけられて始めたのがきっかけです。コロナで玉宮祭りはなくなってしまったのですが、解体ショーは続けているんです。幼稚園やイベントなどに呼ばれて解体ショーをしているんです。子どもたちに『すごい!かっこいい!』と言ってもらえますね。」
この活動もまた、子どもたちに向けた「良い無限ループ」の一環なのだ。
④お客様に感動を与える魚屋さん
四代目の内藤さんだが、お子様に「五代目」として魚ぎを継いでほしいという気もちはあるのだろうか?
「ないですね。実はうちでは魚以外に、UberEatsでおにぎりやデザートなども提供しています。もし将来、子どもたちが法人として「魚ぎ」を使って何かしたいと考えるのであれば、利用してもらえばいいと思います。ただ、無理に魚にこだわる必要はないと考えています。」
素敵な考え方だ。この柔軟性こそ、魚ぎがビジネスとして成功している理由かもしれない。約20年、魚に関わる仕事をしている内藤さん。一番うれしいときはどのような時だろうか?
「やはり、お客様に『おいしかった!』と言ってもらえたときですね。嬉しいですし、やりがいを感じます。」
最後に座右の銘を尋ねたところ、唐突な質問だったにもかかわらず、スッと答えてくれた。
「感謝・感動・感激です。これは、僕が尊敬している経営者の方が、常々言っていることです。謙虚であること、感謝すること、感動・感激を与えられることと言っていて。これを聞いたときに「これだ!これ、もらいます!」ってなりました。」
そして内藤さんは今、「魚」で感動を与えられるお店を経営している。
その試みのひとつがサブスクだ。毎月、旬の魚を楽しめるセットが用意されている。たとえば7月は「半夏生(はんげしょう)」にちなんでゆでダコを丸ごと一匹。半夏生にタコを食べるのは、田植えを終えた農家が神様にタコをお供えしたことが由来。「タコの足のようにしっかりと根を張って豊作になるように。」という願いが込められているのだそう。
このように、旬の魚を味わいながら、日本の文化まで学べてしまうのだから、これこそ「食育」といえるのではないだろうか。
週末、家族でどこに行こうか迷ったときは、皆で「食べる水族館」を訪れてみてはどうだろうか。魚の伝道師・内藤さんの活動に、これからも注目していきたい。