皆さんは、「大地のかりんとう」の名は聞いたことあるだろうか。
今では岐阜みやげの定番と言われ、全国でもその名は有名だ。
老舗油屋の山本佐太郎商店と和菓子職人のまっちんがコラボレーションをして、2012年に生まれた。
天然素材にこだわり、お子様からお年寄りまで、誰もが安心して食べることができるおやつをコンセプトに作られた。
発売3年でシリーズ累計30万個を売り上げ、取扱店舗では4ヶ月の入荷待ちがあった時もあるぐらいだ。
今では取扱店舗は全国に300店舗以上になる。
明治9年に創業、岐阜で140年続く老舗の油卸商がそんな新たな挑戦をしようと思い動いたのが、4代目の山本慎一郎さんだ。
岐阜市内の飲食店500店に食用油を卸す老舗。そんな老舗が新しいことに挑戦するのは容易ではない。
油屋としての新しい価値を模索し続けた4代目だからこそ、出来たことだ。
山本さんは社外でも色々な活動に参加している為、岐阜では顔や名が知られている存在だ。
爽やかな笑顔にオーバーオールに帽子が、山本さんのトレードマークだ。
社外でも活発的に活動を続けるのには、理由があるのだろうか。
新しい発想を生む山本さんは何を感じ、何を思い描くのだろうか。
経営者ではあるが、山本さんは経営者の型にははまっていない印象を持つ。
山本さんの「らしさ」を生む要因になったものは何なんだろうか。
今回は、山本さんを育てたもの、作り上げたものの話を聞いてみた。
- 周りに人が集まる人柄
- リーダーとしての在り方
- 大ヒット商品の裏側
- 仕事への向き合い方
- 食への想いと未来へ
周りに人が集まる人柄
山本さんは自身のことを社長や代表ではなく〝コーディネーター〟という。
コーディネーターの役割は、色んな人と色んな所で接点を持ち、色んな人の良さを知ることから始まる。
山本さんは、チームを組み、現場で誰よりも商品に関わる。
プロジェクトの内容に合わせて、誰と一緒にやるかを常に考える。
今までの山本さんが知り合った全ての人脈の中から、適任を見つけるということだ。
作るもの、商品によってチームを変えることで、商品に合わせたチームができる。
これまで山本さんは様々なチームを作ってきた。
今回はこのプロジェクトチームで、次はこのプロジェクトチームで。たまにはそれがクロスしたり、、、。
チームを作り商品を開発し、売り出す。
それを全て自社でやるところもあるが、山本さんは違う。
新しい商品のアイディアをもらって、コーディネートをする。
まっちんと出会い、かりんとうが生まれ
冨田さんと出会い、だしブレンドが生まれた。
まっちん(町野仁英)さんとは、米作りを学んだ経験を生かし、独学で和菓子を作り始めた和菓子職人だ。
米や豆や粉の美味しさを生かした素朴な和菓子が評判を呼び、全国にファンが広がっている。
冨田ただすけさんとは料理研究家だ。
食品研究開発職や板前の経験を生かし、和食レシピサイト「白ごはん.com」を開設。
今では1日平均31万PV(ページビュー)を誇る大人気レシピサイトだ。
ひとつの商品を作るのには、やはり時間も掛かる。
今回新しく作っただしブレンドも、商品化されるのに2年の月日が経っていた。
自分たちが求めるクオリティを満たす制作工場に出会うまでに、時間が掛かった為だ。
山本さんはアイディアを否定する事はことはないという。
だが経営者として最終判断は、山本さんの役割だ。
お客様の暮らしの中で必要とされるか、受け入れられるのか。
売り場で並んだときはどう見えるのか。
そこまでの流れを考える。
それが流通にのせるということ。
その全てのバランスをみて、山本さんは判断するという。
「商品開発は、山本佐太郎商店の長所をのばしていく商品開発でないといけない。」
人との出会いから山本佐太郎商店としての可能性は広がった。
人との出会いは山本さんが一番に
大切にしていることだ。
大切にしてきたからこそ、広がりはとても大きかった。
「人には恵まれていると思う。人で困るという感覚はよくわからない。」
その感覚だからこそ、山本さんは温かい空気で包まれているのだろう。
棘がなく、なめらかで。だけど芯はしっかりしている。
1度接すれば、周りになぜ人が集まるのかがわかる。そんな人だ。
「自分1人でやれることは限られている。
支えてくれる、一緒にいてくれる仲間がいるから、何をするのにもやっていける。」
リーダーとしての在り方
山本さんは今まで数多くのイベントに関わってきた。
イベントなどに関わり続けることで、多方面から厚い信頼を得るようになった。
ものづくりに情熱を注ぐ作り手との人脈も広がり、共感し合える人との出会いが生まれた。
その繋がりから、仕事の依頼がくるきっかけにもなった。
日比野克彦さんとの出会いも大きかったという。
日比野さんは国内外で活躍する岐阜出身のアーティストだ。
山本さんと日比野さんの出会いは、長良川おんぱくの一つのプログラムだった。
長良川おんぱくとは長良川流域にあるあちこちの街で、体験ツアーやアクティビティなどの様々なプログラムを開催している。
山本さんが参加者として、日比野さんの街歩きのプログラムに参加したことがきっかけだった。
そこから交流するようになり、日比野さんから〝こよみのよぶね〟のリーダーに友人と共に抜擢された。
こよみのよぶねとは、日比野さんが〝冬の長良川に風物詩を作ろう〟と発案されたイベントだ。
和紙と竹で作った巨大な明かりを鵜飼船に乗せ、長良川に流すという、冬至の日に1年の想いをはせるものである。
山本さんはこよみのよぶねに数年関わってはいたが、リーダーということに関して考えてもいなかった。
そもそも内情をよくわかっていなかった為、リーダーが何をすればいいかがわからない。
だが日比野さんが山本さんを抜擢したのことには理由があったはずだ。
不安はあったが日比野さんからの推薦により、山本さんは友人と2人でお互いに足りないところを補いながら、2年間リーダーをやって行くことになった。
こよみのよぶねに関わり始め、今までの制作の流れをもっといい方向に変えたいと思い、山本さんは改善に努めた。
山本さんは制作チームが少ない為、各自の負担が大きいことに気づき、それを解消するためにもっと人を巻き込むことを考えた。
今まで関わってきた人などに声をかけ、エリアを広げ、制作するチームを増やした。
そうすることで、各自の負担は減りスムーズな流れを作ることが出来た。
山本さんの働きで制作の流れは
〝誰でもできる簡単な作業にして、みんなで関わりながら作っていく〟という日比野さんの本来の作品の考え方に、沿える形に変わることが出来た。
こよみのよぶねのリーダーをしたことは、プロジェクトの真髄に触れることが出来、山本さんにとってコーディネーターとしての引き出しが増えたはずだ。
そしてその後、日比野さんとは一緒に仕事をする機会も増え、山本さんの仕事の幅も広がった。
だが山本さんがリーダーとして抜擢された事は、こよみのよぶねが初めてではない。
保育園の頃卒園式の代表に選ばれてから、学級委員に生徒会長、野球部のキャプテンもやってきた。
自身で希望をしたことはないが、なぜか選ばれることばかりだったという。
幼少期から常にそういうポジションにいたということだ。
本人が目立ちたくて希望を出しているわけではない。
だが選ばれるのはなぜだろうか。
ただリーダーになりたい人。
目立ちたいだけの人。
そんな薄っぺらい人は山のようにいるが、山本さんはそうではない。
空気感、頼り甲斐、真面目さ、カリスマ性。
色んなもので作られた山本慎一郎という人に任せる事は、周囲に安心感を与える。
だから任せられる。
山本さんはそんな頼られる存在だ。
だからこそ、こよみのよぶねのリーダーにも抜擢されたのではないだろうか。
今では色々なプロジェクトを自身でコーディネートしているが、山本さんは基本的には群れるのが嫌いだという。
なぜならチームであったとしても、個々が個性で立っていてほしいと思うから。
チームだからといってみんなで同じ服を着て、同じ方向に進むのは少し違う。
それぞれが自分の得意分野を生かし、最終的に良い結果を生むのが理想という。
山本佐太郎商店の社内も同じだ。
「山本佐太郎商店はピラミッドじゃなくて、僕の周りにみんながいるイメージ。」
社員さんとの立ち位置はフェアにしている。
それは山本さんが個々を大切にして欲しいからだ。
「俺と同じことをしてほしいわけじゃない。」
だから山本さんは基本的に従業員に口うるさくいうことはないという。
教えることもしない。
社員さんを信用し、全て任せている。
個々で考え動くことで、動けるようになる。
その背景には、もし山本さんがいなくなっても、山本佐太郎商店が回るように考えられているからだ。
大ヒット商品の裏側
今では名の知れた〝大地のかりんとう〟だが
最初は出店から始まった。
まっちんは商品を流れ作業で売るのではなく、ひとりにひとりに対して向き合って商品を売っていた。
山本さんは効率を考えていた為、そのような販売方法に最初はびっくりしたという。
だがお客さんはその販売方法だからこそ、まっちんと話すことが出来、喜んで商品を買って帰った。
お客様との向き合った販売の大切さを、山本さんはまっちんから学んだという。
まっちんのファンは全国にたくさんいる。
長崎から東京まで各地で出店をしていたが、それでは足らず、山本さんは全国のまっちんファンへのフォローが必要と感じた。
その答えは、オンラインショップを立ち上げることだった。
そういうことには知識がなかった2人に、矢野宇太郎さんがサポートを買って出てくれたという。
矢野さんは優秀なシステムエンジニアだった。
システムエンジニアとしてプログラムを作る技術に加え、発想力が豊かだった為、彼に仕事をお願いする場合、通常何百万円もかかってしまう。
始めたばかりの大地のかりんとうには、そんな予算はなかった。
だが矢野さんは、山本さんとまっちんの作る大地のかりんとうに、とても共感をしてくれた。
そこでレベニューシェアを使用する流れになった。
レベニューシェアとはリスクも利益も分配するという考え方だ。
商品が売れた売り上げから経費を抜いて利益を分配、それを矢野さんにはオンラインショップの製作代に当ててもらう。
レベニューシェアは前向きに考えれば、商品が売れる為にお互いが頑張れば、お互いの取り分は増える。
だがそこには、リスクも付いてくる。
もし商品が全く売れず撤退することになれば、矢野さんへは支払いがされず、マイナスになってしまう可能性もある。
だからこそレベニューシェアは信用しあえた関係だからこそ、成り立つということだ。
〝このおやつは何年にも渡って愛されるべき。おかしとかおやつだと、強豪は山のようにいます。
相当の努力、実績が必要になる。なかなか1番にはなれません。
でもかりんとうなら1番になれる自信があります。1番になりましょう〟と矢野さんは言ってくれたという。
その矢野さんの気持ちは、山本さんにとって心強い後押しになった。
その後オンラインショップは出来上がり、そこからの販売戦略も矢野さんが一緒に考えてくれた。
そして大地のかりんとうはGoogleで〝かりんとう〟と検索すると、本当にかりんとうで1番になった。
矢野さんと共にがんばってきた成果が出た瞬間だった。
順調に売り上げが伸び続け安定してきた頃、
山本さんは矢野さんから〝もうお金は十分にいただきました。これ以上はいりません。〟と言われた。
だが、約束は約束だ。
もしかしたらリスクを被るかもしれなかったのに、最初に山本さんを信じ、レベニューシェアをしてくれた矢野さん。
山本さんは売り上げを分配し続けていきたいという気持ちは、変わらなかったという。
矢野さんに想いを伝えたら、矢野さんはまた技術でサポートをしてくれた。
お客様と管理側が、もっと使いやすいシステムに変え、オンラインショップは新しくリニューアルされた。
今でも矢野さんとのレベニューシェアは続いている。
矢野さんとはこれからも、一緒に前を向いていくだろう。
友人から始まったことから
ビジネスパートナーとしていい関係が作られたことは、奇跡だ。
そんな関係が作れるのは、今まで山本さんの人を大切にしてきた行動に尽きる。
レベニューシェアは頼ることではない。
お互いが前向きに知恵を出し合い、考え、行動する。
同じ方向で、同じ船に乗る。
簡単には出来ない方法だが、
出来るようなパートナーが見つかった時
すごくいい方法なのかもしれない。
知恵がある人たちが同じ方向を向いた時の相乗効果は
大地のかりんとうの今の知名度を考えたら、手に取るようにわかるだろう。
こんなに素敵な結果を生み出すことができるのだから。
仕事への向き合い方
毎日動き続けている山本さんは、息を抜く暇はあるのだろうか。
「休んでいるかっていうと休んではいないのかもしれない。」
山本さんは基本的にストレスと感じることが少ないという。
それは仕事を楽しんでいるからだろう。
だが山本さんも最初からそうだったわけではない。
山本さんは22歳で家業を継いだ。
「会社を継いだばかりの頃は、仕事は嫌なこともやらないといけないと、母親に言われていた。」
だから最初は嫌なこともやった。
ただ継いだ時には、俺は油屋として行きていくという生きる覚悟が出来ていたという。
継いだからには継いだ仕事をしっかりとやらないといけない。
中途半端ではやれない。
お客様に対して、ご迷惑をおかけしてはいけない。
自分のお店のお客様だが、山本さんが作ってきた関係性ではない。
全てお父さんやお祖父さん、曾お祖父さんが作ってきた関係だった。
そこに泥をぬってはいけない。
そこに対する責任感は強くあった。
だが経験の浅さから、泥を塗ってしまうこともあった。
しかし泥を塗ったとしても、色々な事を親身に教えてくれるお客さんがいた。
そのお客様たちのお陰で、山本さんは成長することが出来たという。
成長し続け、山本さんには次第に余裕が生まれた。
「仕事に責任が取れるようになってからは変わってきた。
自分の責任においてやれるポジションに、今いることを感じる。」
山本さんは学ぶことに関して、小さい頃から貪欲だった。
興味あるないはあるが、何に関しても「何で?」という疑問が出るという。
「中学校の時の教師に「お前は1番なんでが多かった。笑」と言われた。」
好奇心はずっとある為、学ぶ姿勢は常に持っている。
山本さんは経営者や、そして社長と呼ばれ尊敬されるポジションにはいるが、
堅いイメージはなく、風格はあるが威厳は感じられない。
偉そうにする理由もないという。
それは山本さんの学ぶ姿勢からくる考え方も、一理あるのかもしれない。
「頑張っているねとよく言われるけど20年経った今でも頑張っているつもりはない。
今の仕事が天職かはわからない。
道を選ばなくてはいけないという度に、面白そうなことをし続けてきて今があるだけ。」
偉そうにしない。
頑張ってるわけじゃない。
この先はどうなるかはわからない。
ただ山本さんは今の目の前の仕事を楽しんでいる。
今楽しいのは新商品のだしブレンドの商品開発だ。
「一緒にやっている冨田さんは、自分自身が持ってないものをたくさん持っている。
だから発見や学びがたくさんある。」
新しく商品を作り、売り出す時は少なからずマイナスの不安がないわけではないだろう。
だが山本さんは今、新しく生まれた商品が、どこまで世の中で評価されていくのかをすごく楽しみにしている。
世の中で楽しんで仕事が出来ている人はどれだけいるのだろうか。
誰しもが好きな仕事に就けるとは限らない。
ただ山本さんのように自分に与えられたやるべき仕事の中で、楽しみを見つけることが大切ということだ。
見つけれるか見つけられないかでは、先に見えるものも変わるだろう。
「最終的にこうなりたいっていうのはない。
ただ一つの出会いによって、人生が豊かになっていくという感覚はある。」
食への想いと未来へ
山本さんが自分のことを大人だと思ったのは、次の世代のことを考えるようになってからだ。
山本佐太郎商店の大地のおやつは、30年後のおやつ作りをコンセプトに作っている。
そのために今からするべきことを考えるという。
「山本佐太郎商店の改装も自分の代でしなくてはいけない。店舗を改装をし、自分の代で整えてから次の代に渡していきたい。
僕がいつか死んだとしても大地のおやつは残っていき、引き継いでいってもらえるものでありたいと願っている。」
今までは山本さん自身が一線で活動してきたが
岐阜の未来を考える年下の世代の手助けも考えるようになってきた。
次の世代のことを考えれるようになってから自分の年齢を意識し、大人になったと感じたという。
40代になり、更に感じることも変わった。
お酒の苦味が美味しく感じるようになった。
食へのこだわりももっともっと深くなった。
年齢とともに、触れ合うことへの大切さを考え直したからである。
昔から食べることはすきだった。
小さい頃、父親が外食に連れて行ってくれることも多く、連れて行ってくれる場所はファミリーレストランではなく、取引先の個人でやられているお店だった。
〝これがおいしかった〟という店ごとの記憶がある。
その想いから山本さん自身の食へのこだわりは生まれたのかもしれない。
旅先に行けば、そこでしか食べられないものが食べたい。
その土地のものを、その土地の人が作るものを食べたい。
その地域のものを食べ学ぶこともあるという。
「その店っていうのは、その人の人生が凝縮されていると思う。
作り手は毎日同じことをし続けてる。
うどん屋さんなら、出汁をひいて麺を打ち、天候によっては温度調節などをする。
毎日毎日同じ事を繰り返していく。
その人がそこで過ごす時間を思うと、すごいことだと思う。
人生がその一杯に出る。そんな一杯を食べたいと思う。」
食事をするのはただお腹を満たすことではない。
だからこそ何を食べるか。
1食1食を大事にしたい。
何を誰と食べるかが本当に大切ということ。
そんな想いの山本さんがつくった商品だからこそ
食べる事、食べ続ける事を容易に考えず
向きあったからこそ出来上がった商品ばかりなのだろう。
今では大地のかりんとうのシリーズは増え、他にもたくさんの商品が生まれた。
そのひとつひとつが深く考えられ、食べることと向き合った商品になっている。
山本さんはそのこだわった商品と共に、今も全国各地に出店に行っているという。
全国各地に行き続けることで、また新しい出会いが増える。
そして新しい発見や学びが生まれる。
山本さんは、これからもたくさんの人と触れ合い、学び、それがまた知識となり
新しいお客様の喜びを生むものを、山本佐太郎商店らしい新しい商品として、世の中に発信してくれるのだろう。
「大人になった今、色々な事が豊かになったと、感じる。」