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羽島にある「株式会社ブルーシリンダージャパン」をご存知だろうか。
クッシュマンという、オールドアメリカンのファッションを手掛けるブランドで、羽島に直営店を構えてトータルコーディネイトしてくれるお店だ。今回は、代表取締役の白木 幸弘(しらき ゆきひろ)さんにお話をうかがった。
- 自分の「好きなこと」で起業!
- 「自分が着たいものを作る」がメインコンセプト!
- ピンチをチャンスに変えた経営術!
- 本場アメリカ本土に卸すことが目標!
- 仕事と遊びのバランスを「吾唯足知」で保つ!
①自分の「好きなこと」で起業!
自社ブランド『Cushman(クッシュマン)』は、立ち上げてから今年で27年目を迎える。5年前には、クッシュマンの直営店として、羽島に実店舗も展開している。『Blue Cylinder(ブルーシリンダー)』という店名は、白木社長が好きなサーフィンの専門用語から取られており、波が巻いている状態をブルーシリンダーと呼ぶそうだ。
「僕はサーフィンと車が好きなんです。自分が好きなライフスタイルを、仕事にも取り入れています。」
ブルーシリンダーの店の前には、『ダッジラムバン』というアメ車や、1930年代に生まれたカスタムカー『ホットロッド』が迎えてくれる。オールドアメリカンファンであればその雰囲気に惹かれるだろう。
「中学生の頃から、オールドアメリカンファッションが好きだったんです。」
そう話す白木社長は、30歳の時にクッシュマンを立ち上げた。高校卒業後、東京の洋服小売店に10年ほど勤めた。その後、もともと地元が岐阜市内だったこともあり、羽島のメーカーで洋服の製造を学んだ。
「昔から、30歳の時にやってる仕事を一生続けようと考えていたんです。いよいよ30歳に近づいてきたときに、サラリーマンを続けるのか?起業するか?と考えた末に、自分で起業しようと決心がつきました。」
起業当時、すでにご結婚をされていた白木社長。起業に際して、奥様からの反対はなく、白木社長の「好きなこと」への挑戦に理解をしてくれた。ちなみに、奥様は、オールドアメリカンファッションに関連するご趣味はないとのこと。
まさに、ご夫婦の信頼関係と絆を感じるエピソードであると感じた。
②「自分が着たいものを作る」がメインコンセプト!
自社ブランドである、クッシュマンのコンセプトは、「1930年代から60年代に作られたアメリカのカジュアルウェアを復刻して作る」だ。この時代のアメリカのカジュアルウェアは、作業着がベースとなっており、デニムももともと炭鉱作業着がベースだ。
クッシュマンの特徴は、アクセサリー類も含めて、下着以外は全身コーディネートができることだ。デニム、スウェット、モーターサイクルキャップ、ブーツやスニーカー、クリップオンサングラスなど、多岐にわたるラインナップを誇っている。
これらのラインナップは、全部白木社長が自らデザインして製造しており、それがクッシュマンのこだわりだ。
「自分が着たいものを作るのが、デザインするときのメインコンセプトです。自分で想像したものが、形になっていくのがすごく楽しいんです。」
ここでも「自分が着たいもの」、「楽しい」というキーワードが出てきて、白木社長が好きなライフスタイルを、仕事に取り入れていることがわかる。
来店されるお客様は、バイクやアメ車に乗っている方が多い。それとは別に、最近はお客様の層の若返りも起きている。一時期は、Gパンを履いてるのは、中年世代が多かったが、今はその子どもの世代である大学生も、抵抗なく古着からアメカジに入っているというのだ。
「今後は、女性にも同じスタイルをしてもらいたいと思います。女性のお客様はまだごく少数なので、アメカジ女性が増えれば、もっと楽しくなると思っています。もっと多くの人にアメカジを楽しんでもらえたら嬉しいです。」
カップルやご夫婦でアメカジファッションに身を包み、オールドなバイクで一緒にツーリングする。そんなカッコいいペアが増えると思うと、今から待ち遠しい。
③ピンチをチャンスに変えた経営術!
「好きなこと」や「楽しいこと」を仕事にしている白木社長だが、ここまで順風満帆だったわけではなかった。
「東日本大震災の後の5〜6年間は、売上が急激に落ちました。正直とても大変でした。取引先が倒産したり、夜逃げしたりで、売掛金が消えてしまったんです。逆にコロナぐらいから、経営状況が良くなりました。実は、インスタグラム経由で海外からオファーを受け、海外での売上が順調に伸びたんです。」
東日本大震災後の冬の時代をなんとか乗り切った白木社長。さらに、コロナの流行で多くの企業が厳しい状況に追い込まれる中、クッシュマンにチャンスが訪れていた。白木社長は、SNSを活用することで、ピンチをチャンスに変えたのだ。クッシュマンは現在、海外輸出もしているので、市場は国内に限られてはいない。
海外の話題といえば、最近では、世界に改造文化を発信している、車好きには有名な「リバティーウォーク」ともコラボをしている。
「リバティの社長である加藤さんとは同い年なんです。それがきっかけで意気投合して、一緒に物作りをしようとコラボが実現したんです。」
白木社長は、昭和41年生まれで、今年57歳になる。まもなく還暦を迎える方とは、とても思えないほど若々しい。
④本場アメリカ本土に卸すことが目標!
白木社長は、クッシュマンの今後の展望として、海外の卸し先をさらに増やしたいと考えている。特に、アメリカ本土やカナダに卸したいという気持ちが強い。現在、アジアを中心として、ヨーロッパの何ヵ国かを合わせて、10カ国に卸している。だが、本家であるアメリカ本土には卸していないのだ。
「北米に卸せたら、仕事という理由で本場にも行ける。それもあって、今後の展望として考えています。」
白木社長の本場への想いは強い。
このように海外10カ国に卸しているクッシュマンだが、驚くべきことに、起業して27年間、広告を一切打ったことがないそうだ。
起業した当初は、口コミで徐々に広まった。最近5〜6年間で、インスタグラムを通じてお客様の数が急激に増加した。お客様の傾向を分析すると、アメカジが好きな方にお越しいただいていて、その輪の中でじわじわと広がっている。
「広告を打てば、一時的に売上は伸びるかもしれませんが、長続きはしないと予想しています。そうなると、広告を打ち続けなければ、売れなくなるという負のスパイラルに陥ってしまう。」
顧客の特徴と、従業員3人で運営しているクッシュマンの規模を鑑みると、少しずつゆっくり進めるスタンスが合っていると白木社長は考えている。起業して27年経った今、そのやり方が正しかったと振り返る。
「ですから、今後も広告を打つつもりはありません。」
また、クッシュマンのあるべき姿について、白木社長にうかがった。
「何十年経っても、相変わらずクッシュマンは、品質とクオリティにこだわってやっている、とお客様から評価をいただけるように維持することが目標です。」
白木社長は「昔は良かったのにといわれるのが一番辛い。」良いものを提供するという想いを一番忘れてはいけないのだと力強く語った。
⑤仕事と遊びのバランスを「吾唯足知」で保つ!
白木社長の座右の銘は、『吾唯足知(われただたるをしる)』。これはもともと老子の言葉で、龍安寺にも書いてある。真ん中が口になっていて、上下右左の4箇所に配置された漢字と組み合わせることで、正しい漢字となるユニークなデザイン。
「私は今あることに感謝して満足することを知る」という意味合いが込められている。例えば、自分がすごいお金持ちだったとする。しかし、その状態に自分が満足していなかったら、常に物足りないままとなり、キリがなくなってしまう。
そうならないように、「今あることに感謝する」、「自分は満たされていることに気づきなさい」というフレーズを肝に銘じて、座右の銘にしているのだと、白木社長は話す。
「私は、大きい夢を持って向かっていく人も素晴らしいと思うんです。楽して稼ぐことは無理なので、大きい夢を達成するからには、それだけ多くのものを犠牲にしなければならない。一方で、私はそういうスタイルではなく、自分のライフスタイルを大事にしたいんです。だから、私はそこそこ働いて、そこそこ遊べる、時間のバランスが取りたいんです。」
白木社長のライフスタイルを象徴する、一貫性のある考えだ。
白木社長の考えに賛同するかのように、『ピストン白木会』という会がある。参加者は、岐阜で活躍してるアーティストや経営者。一番若いメンバーは33歳で、白木社長が1番年上で、総勢12〜13人いる。みんな好きなものや、仕事が重なることが多いそうで、イベントがあれば自然と集まるそうだ。
このように、好きを仕事にする白木社長のもとには、人が集まってくる。
男が憧れる生き方が体現されている白木社長に一度会いに行くのも良いし、アメカジファッションのコーディネートを指南してもらうのも良いだろう。
羽島のBlue Cylinder(ブルーシリンダー)は熱い。ぜひ訪れてみてはいかがだろうか。